今日の夜は久しぶりに自炊。
最後に自炊したのはいつだっただろうか。
全然思い出せない笑
作ったのは、確か八宝菜だっただろうか。
私は、手のこんだ料理は少し苦手だ。
自炊をするときは簡単な料理しか作らない。
今日作ったのは肉野菜炒めと味噌汁。
野菜炒めの方は、
ニンジン、玉ねぎ、豚肉をメインに、もやしでかさ増し。
味噌汁は、冷蔵庫の余り物をぶち込んだ。
ぶち込んだのは、八宝菜を作ったときに余った白菜、絹さや。
そして肉野菜炒めに使って余ったニンジン。
白菜は今日でやっと使い切った。
絹さやはまだ少し残っている。
食材をフライパンに入れていき、火が通ったら、
醤油、酒、砂糖で味付け。
調味料や分量は各家庭によって違うのだろうか。
簡単で単純な料理ほど、各家庭の特色の違いがあらわれそう。
味噌汁は特にそうだと思う。
使う食材、出汁、味噌。
出汁と一言で言っても、カツオ、煮干しなどなど、様々なものがある。
私はめんどくさいので味の素の顆粒だし。
さっと入れて、しっかり味が決まるから、大好きだ。
でも、出汁からこだわって作っているような、ちゃんとしたお店に食事に行くと、
至極当たり前なのだが、味がぜんぜん違う。
また、料理上手な人の味噌汁も、出汁をちゃんととっていて、
自分が作るのと味がぜんぜん違う。
ちゃんと作るってやっぱり大事だなと思う反面、
家事が苦手な僕は、楽さをとってしまう。
味噌だってそう。
地域によってぜんぜん違うし、家庭によっても使う味噌はぜんぜん違う。
大学時代、地元を離れて県外に住んでいた時期があった。
初めての県外での生活。
実家で使っていた馴染みの味噌や、醤油が売っておらず、
すごく戸惑ったのを覚えている。
もちろん、味も違ったので、それも少なからず戸惑いは感じた。
これが、新しい文化に馴染んでいくために必要な一歩なんだなと感じた。
実家に帰ってから、久しぶりに母の作る料理を食べると、
すごく懐かしく、落ち着くのを感じた。
これが、帰る所があるということなんだなと思った。
地元で馴染みの調味料を購入して、
自宅で母と同じようになるように、味噌汁を作ったことがある。
でも、不思議なことに、同じ味にならないのだ。
母も自分も、計量スプーンや計量カップをいちいち使わないから、
やはり、分量がわずかに違うのだろうが、
微調整してもやっぱり同じ味にはならない。
同じ経験をした人もいるのかもしれない。
たかが味噌汁、されど味噌汁、とても奥深いと思う。
でも現在は、実家で使っているのとは違う醤油・味噌を使っている。
全国津々浦々で売られているものだ。
これも完全に利便性を優先ししまった。
醤油はしぼりたて生しょうゆ。
少量を注ぎやすくて、長持ちするような容器だからだ。
味噌もプラスチック製の容器に入った少量のもの。
自分の性格上、自炊の頻度は限られてしまうので、
長持ちして、使い切りやすい量であることが一番大事だ。